今を頑張るじゃなくて明日を楽しみでしょうがなくする
いつもすごいなと尊敬できる人の中に「今やらなければ明日は死ぬかもしれない」という勢いで毎日をストイックに生きている人がいます。
やっぱりそういう人は結果を残すのが早いですし、しばらく会わないうちに次々と新しいことにチャレンジできるようになっていたりします。
その度に悔しくて、そしてすごく憧れ、羨ましく思い、できない自分にイライラすることはあります。
ただしその人と比べて私にはどうしてもたどり着けない大きな壁を感じました。
だらけてしまう私の習慣はなかなか外れない
基本私はスイッチが入れば止まらないのですが、だらける時はとことんだらけてしまうので、自分で過去に決断したことを簡単に裏切ったりもします。
こうやってもう30年も自分という人間と向き合ってくると「憧れのストイックマン」と私とは大きな壁があり近づくにも程遠いな、とすでに認識するようになりました。
意志が弱いといえばそれも当てはまるのですが、やっぱり私が「長年培ってきた習慣」というものが幾分か私の行動を制御しているのは間違いないと思っています。(あくまでも私の歩いてきた人生での結論です)
でもそれでも納得ができないのが私です。そしてその方に常に憧れは持っているので「私の願望や欲」を解消する方法は?と考えた時に私は「明日がたまらなく楽しみな時はその日の課題や問題を必死で解決しようと動いているなと」ふと思い出しました。
私の場合なら「楽しみを明日にとっておけばより今が頑張れるのではないか?」と考えるようになりました。
頑張るという思考から明日楽しめるからという思考へ
私の習性上「今頑張ってる」という着地点はどうしてもしんどくて嫌です。どうしようもない人間というのも理解しています。
ですので「明日〇〇できるから今これを片付けないと全力で楽しめない」を着地点に見立ててプライベートも仕事も取り組むようにしました。
そう考えを持ってから目の前の問題の解決方法が具体的に考えれるようになり、それを考えてるうちにあの時に思っていた「願望や欲」に近づけていると感じるようになりました。
これをやったら「明日こんな楽しいことが待ってる」と自分に錯覚させる
- 「ダイエット中でお腹空いてて眠れないけど、明日の朝ごはんが美味しくたべれそうで仕方がないから早く寝よう」
- 「明日楽しみながら部屋のインテリアを考えるために今日中に掃除を終わらせておく」
- 「明日に筋肉の成長を見るのが楽しみだから今日中にその筋肉を痛めつけておかなければならない」
いわゆる「勉強終わらせないと、明日遊園地連れて行かないよ!」とお母さんに言われて子供が異様な力を発揮するアレです笑
そう考えると仕事にしてもプライベートにしても明日の為に今日が最大限片付いていると明日が楽できるんですよね。
楽ってたのしいと書くと思いますし、明日が今日よりスッキリしてるから何事も思いっきり楽しめるんじゃないかと思います。
それは目の前にある問題でもあれば常に抱えてる思考かもしれません。些細なことかもしれませんが、どれも可能な限りスッキリしなきゃ私は思い切り楽しめません。
「だらけてしまう&でも楽しいことはしたい」という私みたいなどうしようもない人間を憧れのストイックマンと戦える土俵に持っていくには取りあえずはこの方法しかないと思っています。
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